何のために練習するのか?
2018/11/25
鍵盤演奏に限らず、楽器や芸事、スポーツなどは練習をコツコツ積み重ねていくことは大事なのは分かっていますが、そもそも「何のために練習するのか?」という意識を持っていないと、遅かれ早かれ途中で止めてしまうことになると思います。
親の期待のため? 自尊心のため? 発表会のため? コンテストのため? ライブのため? お金のため? どんな理由であれ、孤独な個人練習を支える上でその辺りの「(目的)意識」は重要になるかもしれません。
“普段練習はしていない”、の言葉のウラ
僕の知っている人でも(鍵盤楽器を)“ものすごく弾ける人”が結構います。中にはそれだけでほぼ生計を立てていて、言ってみれば「プロ・ミュージシャン」ですよね。思わず「普段どのくらい鍵盤に向かっているんですか? 一日の練習時間は?」などと聞いてしまったこともあります。我ながら何というかしょーもない質問ですね。。
その時決まった返ってくる答えはたいてい、、
『うーん 全然練習してないよ』
の一言。『練習しなくてもたいてい弾ける』、『(ライブ)本番が練習』なんて答えもよく聞きますね。。学生時代、期末テスト当日に「全然勉強してないよ~」なんて言って90点取るヤツとか居たなぁ(笑)。はぁぁ、やっぱり神様に愛された人(Gifted)って世の中にはいるんだよなーー
いやいやいやそれは多分違います、騙されてはいけませんよー。彼らは日頃練習していることを人に悟られたくないんです。もしくは練習があまりにも日常的(日課)になっているため、“努力してる”というニュアンスを含む 「練習」という言葉を使わないだけです。特にプロ・ミュージシャンだったら、練習は一生付き合っていくであろう課題でしょう。
何のために練習するのか?
逆に、ものすごい練習時間を割いてるのに思うように上達しないケースも見受けられます。「再来週のライブでミスって恥をかきたくない、不眠不休で練習しなければ…」と脅迫観念に捕らわれて練習をし続けても、長期的に見ればあまり有効ではないかもしれません。どんな動機であれ集中できるというのはいいことですが、上記例の場合、ライブが終われば解放されてしまうので一時的なものに過ぎないでしょう。
“何のための練習だったのか?”、“自分はどのように何を弾けるようになりたいのか?”を普段から意識していないと、ただの「テスト前日の一夜漬け」に終わってしまうでしょう。
理想の高すぎるミュージシャンは要注意!?
“本番(ライブや発表会、コンテスト等)で失敗したくないから”、よりベストな状態を目指すようになりますが、あまりに理想が高すぎるとベストの状態になるまで他人に披露しにくくなります。
このスパイラルに乗ってしまうと以下のようになりがちです。僕にも少し当てはまる節があります。。
①人前で演奏する頻度が減ると “気軽に披露する”軽快さが薄れていく
②気軽さが薄れると、ミス(失敗)することを恐れるようになる、
あるいは他人に否定された時のショックが大きくなる
③傷つかないように、よりベストの状態を目指すようになる
結果、いつまでも自分の掲げる “ベストの状態”に到達せず、①の状態に戻ります。こうなると「練習」は出口の見えない苦行みたいな感じになってしまうかもしれません。。
一応まとめ
最強なのはやはり「弾くこと、練習することが楽しくて仕方がない」という人(状態)でしょう。個人的には、これはこれで一種の才能だと思います。
残念ながら僕は常にその領域にいるわけではありませんが、そこまでいかなくても、「これをやっている時は比較的苦に感じない」「長く続けられそう」という手軽な練習メニューなり課題を見つけて、自然と楽器・音楽に接する時間を長くしていきたいと思っています。