イタリア・マテーラ旅行記(その2) ~市街地散策で迷子を楽しむ
2018/11/25
2017年5月、イタリア・バジリカータ州の「マテーラ(の洞窟住居)」に行って来ました。前回の「イタリア・マテーラ旅行記(その1) ~霧の洞窟住居群を彷徨う」に引き続き、マテーラ(旧市街地)での主に二日目の旅の様子なんぞを展開してみたいと思います。
なお情報は2017年5月現在のものです。最新の情報は旅行代理店、インターネット等でご確認ください。
前日夜とはまた違った雰囲気の街並み。白亜の建物、というよりかちょっとダークな遺構群といった雰囲気ですね。暗めの写真になってしまったのは、撮影時の露出が低かったというのもあります。。
ちょっとモロッコっぽい風景。高台に向かってみます。
ゆるやかな石畳の坂道を上ります。前日の(霧と強風による)寒さが噓のようにこの日は暑かったです。
高台に到着しましたよ! ここは観光客もひときわ多かったです。こちらは一般に『マテーラの大聖堂』と呼ばれるところらしいです(→正式には【La cattedrale della Madonna della Bruna e di Sant'Eustachio】)。中は無料で一般公開されてるっぽいですね。
入ってみるとこんな趣き。建築されたのは1270年頃とのこと。
祭壇の脇にはオルガン(らしきもの)もありました。
その昔修道士が築いた岩窟教会を再現したと思われるミニチュア。凝灰岩の岩盤に空いた洞窟を利用していたそうです。
電球で灯るロウソクがありました(点け方は分かりません)。。この台は、手前に寄付(OFFERTA)のためのコイン穴も空けられています。
大聖堂をあとにして再び街なかを散策。街の構造は複雑で、比較的アップダウンも激しいですね。ちなみにこの道は右に進むと行き止まりです。迷路感がすごいです。
やっぱり迷路のように入り組んでいます。地図だけでは高低差は読み取れないので、高台の尖塔を目印にして方角だけは間違えないように歩きます。
これらサッシは、長きにわたって貧しい小作農民の住居であったという歴史があるそうです。20世紀の大戦後においても、電気・水道・ガスといったインフラ整備がなかなか進まず、文明発展から取り残された人々が住んでいたとのこと。
それ故マテーラは世界遺産に登録されるまではあまり注目されることもなく、「(イタリアの)陸の孤島」とまで呼ばれていたそうです。もちろん現在では多くの宿泊施設や観光施設があり、観光地として今後も発展していくといった印象でしょうか。
散策かんそう
旧市街地(サッシ地区)はただ歩いているだけでも十分見応えがあり、どこを切り取っても写真映えする美しい景色ばかりでした。複雑に入り組んだ石造りの街並みは個人的にはヴェネツィアのそれを連想しましたが、ヴェネツィアのように海はありません。マテーラは僕的には「海のない立体的なヴェネツィア」といった印象でした。
マテーラの過去、およびこういったサッシが造られた歴史的背景は、あまり光が当たっていたという感じではなく、こうした狭い地域で人々が肩寄せ合って、貧しいながらもたくましく暮らしていたんだなあという雰囲気が感じられました。
さてマテーラ観光はまだまだ続きます。「その3」では夕刻から夜~そして最終日の朝にかけて記してみたいと思います。
続きの記事:「イタリア・マテーラ旅行記(その3) ~最終日および帰路の記録」